台湾と日本
そして中東に位置するヨルダン
このあまり交わりのなさそうな三ヶ国に
意外な点で交流があったのだ
時を遡ること半年以上前
ゴールデンウイークに旅行で
中東のヨルダンに出かけた
死海とペトラ遺跡が目的だ
そのヨルダンでの旅行中、ふと入った食堂
おいしい鶏肉料理のお店
店頭には鶏肉丸焼き機が動き
通りまで美味しそうな香りがし、お客を呼んでいる
ついつい、足を向けた食堂で
「遠く離れた日本」を思い出す物発見した
大盛りのピクルスの乗った
「おいしい」のひらがな文字の入ったお皿だ
まさか、日本から遠く離れたヨルダンの地で
丸みを帯びたひらがなを見ることが出来るとは思わなかった
しかし、この「おいしい皿」はどこで売っているのだろう
ひらがなの国、日本では見たことがない
陶器ではなくプラスティックなので
学食とか居酒屋とかで使われていそうだが
物心ついた頃から30年は経っているが
見たことはない皿だ
こんなインパクトのある皿なら覚えていても良さそうなのに・・・
とヨルダンから帰国したのが2010年5月
それから、日本で普通に仕事したり飲んだりと
過ごしてきたが「おいしい皿」に出会うことはなかった
そんな2010年の年末、台湾に向かった
年末の慌ただしさで台北の町は賑やかだった
故宮博物館など観光スポットを廻り
お土産を買いにスーパーのカルフールにやってきた
仏系のスーパーカルフールは中国語では「家楽福」
なんとも、暖かい家庭をイメージさせる
24時間営業なので大晦日の午前1時頃に行っても
明るい光で迎えてくれた
店内は若者たちがお酒やお菓子などを買い込んでいる
ニューイヤーパーティでもするのだろう
人は少ない物のなんだか活気のある店内だった
ぶらぶらとお土産用のお菓子などを物色していたら
なんだか、食器売り場に迷い込んだ
そこで、後ろを歩いていた嫁が叫んだ「おいしい!」
午前1時歩きながら寝ぼけているのかと思い
振り返ると、指を指す方向にそれがあった
あの「おいしい皿」だ!!
まさかヨルダンで出会った「おいしい皿」に
台北の町で出会えるとは思わなかった
大晦日の夜にちょっとした偶然という奇跡を体験できた
88台湾元、日本円で270円こんな奇跡そうそうある物ではない
もちろん購入
その後、2011年を迎えた時間、新しい年と奇跡の再会を
台北の街角で祝った
遠いヨルダン、台北からの「おいしい皿」
そしていま、「おいしい皿」は日本の我が家で食卓を彩っている
彩るたびに夫婦でヨルダンのピクルスと台北の新しい年を思い出す
冷や奴を食べていても頭の中は新年のピクルスだ
死海の水を体感しよう
ゴールデンウイークに
ヨルダン・アンマンに観光で行ってきた
成田空港に就航したばかりの
エディハド航空の飛行機を
アブダビ空港で乗り継いで
15時間ヨルダン・アンマンの地に降り立った
この地に気か目的の一つが
ヨルダンとイスラエルの国境にある死海だ
大変に塩分濃度の濃い水を湛えている湖で
世界的に有名な観光地だ
塩分が高い水なので物がよく浮くのだ
湖に浮かびながら新聞を読んでいる写真と一緒に
紹介される湖、魚も住めない塩湖・死海
とりあえず新聞を持って日本を出発した
移動の手段はヨルダン・アンマンの町中にある
サンライズホテルで手配
バスでの移動手段があるが
滞在時間が短いことと死海以外の観光を考え
タクシーを借り切り移動することにした
紹介されたタクシーのドライバーのアリさん
この車で死海までよろしくお願いします
死海までの車中、ドライバーアリさんに
アラビア語を教わる
「ありがとう」は「ショッコラン」
街に必ずある「モスク」は「マスヂェト」
「問題ない」時には「ミッシュムシケラン」で
お互いの手を叩き親指を立てる
これがなかなかうまく行かない
手を叩くタイミングが合わないのだ
やっぱり、自分にはハイタッチなどの
文化は難しいようだ
タクシーはアリさんの「ヤラーヤーラー」の
掛け声とともにスピードを上げて死海に向かっていく
(※「行け・ゴー」的な意味が「ヤラ」)
数時間で死海にアリさんのタクシーが着いた
天気も良く湖水浴日和
はるばるやってきた死海に入ろう
死海の第一印象は観光地の湖だなぁという感じだ
パラソルを立てたり、寝そべったり
浮き輪で湖にプカプカ浮かんだりと
みんな思い思いに湖水浴を楽しんでいる
名前の「死」とは対極の平和な風景が広がっている
本当にここは魚も住めない死海なのか
と思うくらいだ
とりあえず浮いてみる
・・・ああープカプカっていうのはこれか!
と感じるくらい不思議に水に浮く
これで浮き輪なんか持ってたら
空に飛び出しそうなくらいだ
とりあえず日本から持ってきた日経新聞を読む
ふむふむ
日本ではいろいろなことが起きている
続いて現地で買ったヨルダンの新聞だ
ふむふむ・・・なにもわからない
アラビア文字なので横書きでも
右から左に読むのだが
どこからどこまでが1文字なのかすらわからない
わかるのは写真くらいだ
噂通り湖に浮かびながら
新聞が読めることがわかった
アラビア語の新聞は文字が読めないので
知識的に無理だったが
日経新聞なら良く読めることは間違いない
この日の新聞では
「赤坂プリンスが営業終了」することが載っていた
あの赤プリが・・・一回も行ったこと無いけど
世界一塩辛いと言われているが
どれくらい塩辛いのかなめてみる
あーあー塩辛い
ミネラル分が多い為か怒濤の塩辛さの後に
苦みが口を支配する
たぶん、コップ一杯飲んだら身体がどうにかなりそうだ
しばらく、死海に浸かって浮かんだり
味わってみたりしていたが
なんだか、身体のあちこちがピリピリしてきた
ずっと浸かっている足首や
皮膚の柔らかい関節部分などがピリピリする
きっと塩分が強すぎるせいでは・・・と
あわてて死海からあがって、真水のシャワーを浴びる
うーん皮膚が弱すぎるのか真水で洗ったら
皮膚の痛みが収まった
恐るべき死海、魚すら住めない湖
最後に死海の塩分を計っていこう
塩分測定機「うす味くん」を日本から持ってきた
ちなみに出発前の朝食で
日本から持ってきた味噌汁の塩分は0.8%だ
これが味噌汁の適度な塩分濃度とのこと
さあ、うす味くん死海の塩分を教えてくれ
ちょっと見にくいがメーターが振り切れている
2.0%以上だ
味噌汁の2倍以上の塩分は
少なくともあることがわかった
・・・帰国してからウィキペディアで調べてみると
死海の湖水は塩分濃度約30%もあるらしい
これじゃうす味くんじゃ計れない
塩辛くて「死」を名に冠した湖、死海
さすがにこれでは生き物が生息できないことを
身を持って感じることができた
プカプカ浮けるがピリピリ刺激が強い湖
一日ゆったりゴムボートか何かで浮いていたい
あんまりゆったりしていると、
国境まで流されてしまうから
そこら辺は気をつけておきたい
その後死海を後にして観光地を回り
帰りのヨルダンの空港で空港職員に呼び止められ
スーツケースを開けさせられた
そこで「うす味くん」を見つけられ
「なんだこれは、なんだこれは」と詰問される
拙い英語で「ソルティーメーター」と繰り返し
5分後なんとか解放された
この空港の奥でスーツケースを開けられた、緊張した
冬のロシア旅行(サンクトペテルブルグ編)
サンクトペテルブルグに着いて
駅から宿泊するホテル「モスクワ」に着いた
サンクトペテルブルグでホテルがモスクワだ
たぶん新潟県あたりにホテル「東京」があるような感じだろうか
そういえば新潟県に「ラフォーレ原宿新潟」がある
なんだか同じ感覚を覚えてしまう
サンクトペテルブルグ ホテルモスクワ -13度
翌日は元旦、有名なエカテリーナ宮殿に向かった
地下鉄に乗って、そこからバスで1時間ほどエカテリーナ宮殿に着いた
広大な庭を抜けると見事な装飾の宮殿が見える
エカテリーナ宮殿だ
中に入ろうとするが、どの入り口も開いていない
元旦の昼、どうやら休館日のようだ
残念で窓から覗いたりしていたが
外観を目に焼き付けて帰ることにした
来た庭の歩道を歩いていると犬の散歩のおじいさんが残念だったね
という顔でこっちをみている
ロシア語はしゃべれないので双方片言の英語でコミュニケーション
その間白い雪の上を犬が走り回っていた
サンクトペテルブルグ エカテリーナ宮殿 -15度
ロシア語が発音できない・キリル文字が読めないので
レストランに入って食事がなかなか難しい
なので全世界共通の食事マクドナルドでの夕食がほとんどだった
一回だけホテルのレストランでなれない英語のメニューで
ビーフストロガノフを食べたが後はマクドナルドが多かった
マクドナルドでは無料のWifiが使えるし
なによりも暖かいで満腹になる
モスクワでもサンクトペテルブルグでも
行きつけのマクドナルドがあった
でも、なかなかオーダーはうまく通らず
オレンジジュースがファンタグレープになったり
コーラがコーヒーになったりする
でも、まぁいいかロシアは広いし・・・大陸な考え方が身に付いた
サンクトペテルブルグ マクドナルド 18度
そんな楽しかったロシアともお別れの日が来てしまった
サンクトペテルブルグからモスクワに国内線で戻り
そこから帰国という行程になる
アエロフロートの国内線に乗り込んでモスクワへ
キャビンアテンダントの制服がビビットなオレンジで格好いい
サンクトペテルブルグからモスクワまで1時間ちょっと
すぐに着陸となった
飛行機のタイヤが地上につき着陸成功!となったとたんに
客席から拍手が起こった
ご年配の人だけでなくモデルのような若い女性も
老若男女全員が拍手で着陸を迎える
よくよく考えるとそうだ
あんな鉄のかたまりが飛んで無事に着陸するのだ
拍手だけじゃ足りないくらい感謝しなくてはならないと思う
アエロフロート国内線機内 24.5度
モスクワについて成田行きまで4時間の待ち時間
ロシア旅行を思い返してみて
寒かったけど楽しかった
寒い時期に寒い所に行くのも良いなぁと思った
でも屋外より暖かい室内がよい
マイナス15度ではヒートテックもなかなか暖かくしてくれない
きっとヒートテック着ていなかったら
凍り付いていたのではと思う
エカテリーナ宮殿 -15度
冬のロシア旅行(モスクワ編)
今年の年末年始に旅行に行ってきた
冬なので暖かいところと
エジプトなど中東地域を考えていたが
紆余曲折あってロシア連邦
モスクワ・サンクトペテルブルグに決まった
暖かいところのツアーが軒並み予約が一杯だったのだ
どうせなら寒いところでロシア連邦
もともと寒がりなのでユニクロで
ダウンとヒートテックの上下を買い込む
ロシアの寒さには日本に技術ヒートテックで対抗だ
とにかくがんばれユニクロ
前日、成田のホテルに泊まった
せっかくモスクワに行くのだからと
ジンギスカンのめざせモスクワをiPhoneで購入
出先で好きな曲が買えるなんて
21世紀ってすごいなとダウンロードしながら考えた
その後、部屋に戻りめざせモスクワを聞きながら就寝
気分はモスコーだ
成田空港近く 7.5度
成田からアエロフロート航空で約10時間
モスクワ空港に到着
ホテルまでは車で移動
車の中では日本語ガイドさんは無口だ
流暢な日本語で必要最低限の連絡しかしない
オプショナルツアーの営業もない
北の人誰も無口だ
ホテルについてすぐに就寝
翌日起床観光に出かける
モスクワ ホテルコスモス-6度
まずはホテルから地下鉄で数十分で着く
日本でも有名な赤の広場とクレムリンに来た
ロシア正教ではクリスマスが年明け1月ということもあり
クリスマス市の露店が建ち並び人出も多い
新年とクリスマスを祝う人でにぎわっている
レーニン稜も赤の広場にあるが
1週間で決まった曜日にしか公開されなく
この日は当たらず残念だった
クレムリンの中に鐘の皇帝という
大きな未完成の鐘がある
鋳造中に火災が発生して火を消そうと
水をかけたら熱く熱せられた鐘にヒビが入り
かけてしまい未完成のまま
現在までクレムリンに展示されている
欠け落ちた破片だけでも11トンの重さがある
水をかけてしまった人は並大抵の「しまった!」ではない
「しまった!」を感じたに違いない
その自分の失敗が21世紀の現在まだ展示されて
世界中の人に見学されている
もし自分ならと考えるとゾッとする話だ
ただ1つの救いは近年コンピュータで鐘の皇帝の
音を再現したところ
あんまり良い音ではなかったらしい
なんかホッとする話だ
モスクワ クレムリン0度
次の日、モスクワを一望できる雀が丘に移動した
最寄りの地下鉄の駅に着いた頃はもう夕方
少し暗くなり始めていたが地図を見ると駅から500m位
歩ける距離だと思い雪の森の中を歩き始める
数分後、暗くなり森の中の道がどこまでも続く
「これは遭難するかも帰ろう!」と高々と宣言して
駅に向かおうとしたら
「すみません日本の方ですか?」と声をかけられる
驚いていると女の子が話しかけてくる
雀が丘にあるモスクワ大学の生徒さんだった
外国語の授業で日本語を専攻しているとのこと
発音も聞き取りやすくすごく流暢だ
自分が第二外国語でドイツ語を取っていたのに
イッヒとアイン、ツバイ、ドライくらいしか
話せないのが恥ずかしい
「寒いですね」言うと
「今日は暖かいです、先週はマイナス40度でした」
と言われた、結構足下から冷え込んでいるのに
今日は暖かい方なのだ
そんな会話を楽しみながら雀が丘まで案内してもらった
雀が丘からの夜景が綺麗だった、
やっぱり寒いから空気が澄んでいるのだろうか
ありがとう!日本に来たら日本らしいところを案内させてください
モスクワ 雀が丘-11度
いろいろ楽しかったモスクワから夜行列車で別れを告げ
サンクトペテルブルグに移動する
モスクワからサンクトペテルブルグへの移動は寝台列車での移動
モスクワ駅23:55発のサンクトペテルブルグ行き
通称赤い矢号と呼ばれている寝台列車だ
1時間ほど前に駅に到着
夜も更けて真夜中に近い時間のため
ホームで電車を待つのは寒さできつい
駅の大きなロビーで出発までの時間待つ
深夜にも関わらず列車の本数が多く
多くの人がロビーを行き来する、売店も開いておりにぎやかだ
こういう人の多いところは荷物の見張りも
より一層注意しなくてはならない
スーツケースを凝視しながら
外の喫煙所でタバコを吸う
口から出る煙がタバコなのか
寒さで息が白くなっているのかわからない
とにかく寒いと思っていたら出発時間が来て乗車
なんだか疲れていたのか盗まれないように
貴重品を入れた鞄を抱きながら眠りについた
起きたらもうサンクトペテルブルグだ
モスクワ駅-7.5度
サンクトペテルブルグ編に続く
上海乗物案内(未来の乗り物編)
黄浦江沿いに外灘(バンドー)がある
古い建物が多数建っている
観光地だけあって多くの人々が歩いていて
とても賑やかだ
もともと金融街で
昔の銀行の社屋が建てられている
銀行という職種だけあって
ガッチリした重厚な建物が多く
目を楽しませてくれる
そんな旧金融街のバンドーと黄浦江を挟んだ向こう岸が
上海環球金融中心、新しい金融街だ
有名な上海ヒルズも建っていて
よくテレビで見る光景が広がっている
その黄浦江を渡るための未来の乗り物がある
21世紀の渡し船である「外灘観光隧道」だ
BundSightseeingTunnel
大きな黄浦江の下のトンネルを
カプセルに乗って向こう岸に行く乗り物だ
この銀色のカプセルに乗車する
銀色にカプセル
未来の要素が二つも入っている
間違いなく未来な乗り物だ
乗る前からワクワクしてしまう
ワクワクが顔に表れている
カプセルに乗り込むのはなんだかスキー場のゴンドラのようだ
でも目の前の銀色の機体が未来の入り口に見える
この後は自分がみた未来の風景をご覧ください
途中こんな空気で揺れる人形の歓迎もある
まばゆいイルミネーションが目の前に広がる
このまま、未来に行けると確信してしまう
この先にはアトムがいてドラえもんがいて
みんな銀色の服を着て空飛ぶ自動車が走っているに違いない
と思ってしまうが
ここは黄浦江の下
進んでいくと向こう岸に着くただそれだけのことだと思っていた
しかしそこには明らかな未来があった
上海タワー・上海明珠塔だ
間違いなく未来な風景が広がっている
やっぱり未来の乗り物だったのだ
3泊4日のスケジュールで5つの乗り物に乗れた
知らない町の乗り物は切符を買うところからドキドキするが楽しい
乗り物は実益もある最高のアミューズメントだなぁと再確認できた
このサブウェイには乗れない